FGOをやめた
前回のブログを書いてから約3カ月が過ぎた。
今読み返してみると、感情のままに書きなぐったひどい文章だと思う。
前記事の最後に、
>おそらく私はFGOのサービス終了までアンインストールをすることはないだろうし、これからも毎日ログインを欠かさないだろう。もしかしたら好みのキャラに課金もするかもしれない。
と書いた。
結論から言うと、その予想は全く当たっていない。私はもうFGOにログインするのをやめてしまった。
やめる決定打となったのは、ぐだぐだ帝都聖杯奇譚イベントだ。
経験値でお馴染みのコハエースが派生した帝都聖杯奇譚とのコラボで、坂本龍馬が配布だったり魔神セイバーの星5実装だったりとかなりの豪華仕様だった。いつもはいきなりイベント開始を告知する運営が、一週間以上も前に予告を出していたことからも相当な気合を入れているのだと感じられた。
そのため期待値も高かったのだが、それはイベントが始まる前までのことだ。
わたしはぐだぐだ帝都聖杯奇譚を最後までクリアしていない。坂本龍馬が登場して少しくらいの序盤でFGO自体をやめてしまった。
イベント当初、私生活の忙しさもあって3日ほどFGOに本腰を入れることができなかったのだが、その間にあるツイートが回ってきた。
そのツイートをした人はコハエースの帝都聖杯奇譚の大ファンで、今回のイベントをかなり楽しみにしていたのだという。
その人のツイートは、クリアしたイベントへの嬉しさや感動の感想ではなかった。
ただただ、今回のコラボに対する悲しみと嘆きの叫びだった。
このキャラはこんな性格じゃない、こんな筈じゃなかった、こんなことになるならコラボなんてしてほしくなかった……
こういった感想を前にも見た。私自身、つぶやいたこともあった。
地獄のようだったコラボイベント、Fate/Accel Zero Orderの時と全く同じだった。
2016年に開催された、Fate/Accel Zero Order「変異特異点 第四次異聞録 冬木」。
現在最も復刻予想がされているコラボイベントだ。
今思い返しても、このイベントには不満点しかない。
ヘイト創作で見るようなウェイバー無双、チョロすぎるケイネス、矛盾だらけのアイリと黒聖杯、歪んだサーヴァントになった切嗣、なぜかこのタイミングで実装されたアンリマユ…挙げればキリがないほどだ。
何よりつらいのは、このシナリオを書いたのがzeroの原作者である虚淵玄その人だということだ。
当初考えていたシナリオはもっと悲惨なものだったという情報もあったが、そちらならここまでの矛盾はなかったのだろうか。
このコラボで良かったと思える点はイスカンダルの実装くらいのものだろう。zeroを知っていてこのコラボを100%楽しめている人は、少なくとも私の見た中ではいない。それほどにひどいイベントだった。
好きなコンテンツが好きなコンテンツに蹂躙されていく苦痛は筆舌に尽くし難い。
FGOから入った人々がその作品やキャラ達を”そういう”ものだと誤解したまま認知していくのを見ているのも悔しくて仕方なかった。
間違ったキャラ解釈で描かれた二次創作は、さらなる誤解を生む。しかし、その”間違った”描写は公式が発している以上、”間違っている”と声高に叫ぶことはできないのだ。それが原作のキャラクターたちとどれだけ乖離していたとしても。
もちろん、FGOのコラボはあくまでIF世界だ。肯定派の意見はIFだから原作には遡及しない、という意見がほとんどで、そんなことは私も理解しているし型月に長く浸かっている人間ならわかることだろう。
だが、FGOで入った層にはそんなことはわからない。
いくらこれはIFのキャラなんだと説明しても、最初に触れた彼らがイベントのキャラであればそちらの印象が主体となって根付いてしまう。原作を見ることがなければ、その崩壊したキャラクターしかそのキャラとして認識せざるを得ないのだ。
濃いファン層をターゲットにしたカーニバル・ファンタズムのキャラ崩壊とは訳が違う。
SN未プレイ・未視聴がユーザーの過半数を超えたFGOで崩壊した原作キャラの描写をするということは、元作品のイメージが損なうことに繋がってしまうのではないだろうか。
ぐだぐだ帝都に対する血を吐くようなツイートを見て、FGOは同じことを繰り返しているのだと思った。
調べてみれば、プリヤコラボでもCCCコラボでも同じように嘆いている人達はいた。まあまあ好きレベルの私が違和感を覚えた部分に、いわゆる『ガチ勢』である人々は悲痛な思いでのたうち回っていたのだ。
二次創作の解釈違いで苦しむというのはよく聞くが、FGOは公式がそれをやっている。おそらくこれからも繰り返すだろう。公式はそれがおかしなことだと微塵も考えていないからだ。
最近、公式に不満や違和感を覚えた時点でもうお前はその作品のターゲットではないのだから離れた方がいい~という意見をよく目にする。嫌ならやめろ、というやつだ。
それは正しい。不満しか持てない作品にしがみついていたところで何の利益も得られない。
だから私はFGOをやめた。
だが、Fateというジャンルはやや特殊だ。
異なるFateであってもどこかしらで繋がっていることが多いし、情報の発信源が同じなため見たくない情報が嫌でも目に入ってくる。
HFについて調べればFGOに触れざるを得ないし、この先TYPE-MOONエース(という名のFateエース)でも同じ媒体に掲載されるだろう。
FGOを見たくなければ、他のFateからも離れるべきなのだろうか。
私は1月のHF2章を本当に楽しみにしている。だがもうFGOは関連情報が目に入るだけで疲れてしまう。どうすればいいのだろう。
公式にとっては、たかだか月数万の微課金ユーザー1人がFGOをやめようがFate自体から離れようが、痛くも痒くもないどころか気付くこともないだろう。今Fateというジャンルは新情報が出るたびにトレンドを埋め尽くし一斉ニュースになるレベルの巨大コンテンツになっている。
こんなことならFGOは当初の予定通り1年で終了してほしかった、と思うことすら見当違いなのだろう。2年目以降も楽しんでいるユーザーはたくさんいるし、今現在も増え続けている。
一日も早く他に熱中できるジャンルを見つけたい。
ずっと好きだったジャンルをこんな形で離れたくなかった。
FGOに疲れた
最初に書いておくが、これは時代についていけなくなったオタクの単なる愚痴だ。
意見でも批判でも風刺でもないただの吐き出しなので、読みやすさや正当性は全く考慮していない。あと長い。
私が初めて型月の存在を知ったのは約7年前だ。
友人から勧められたFate/staynightをプレイしたところドハマりした。
セイバーの最期に泣き、凛の強さに救われ、士郎とアーチャーの戦いでは胸が躍り、桜の強さと弱さにまた泣いた。イリヤも藤ねえも慎二も言峰も、どのキャラも好きになったしその人間模様に惚れ込んだ。
元々好きだった空の境界とDDDの小説と作者が同じだと知り、そこからはどんどん奈須きのこの世界に魅了されていった。
ちょうどその頃Fate/zeroのアニメが始まりFate自体も盛り上がっていたし、10年以上築かれてきたコンテンツをひとつひとつ掘り起こしていくのはとても楽しかった。
DDDを読み返し、空の境界の劇場版を一から観て、友人にノートパソコンごと借りた月姫と歌月十夜をプレイし、各Fateを終える頃にはすっかり型月の虜となっていた。
長いジャンルということもあり、型月にはその頃から古参新参というくくりがあった。
幸いにも私の周りは快く受け入れてくれた人たちばかりだったが、掲示板やSNSでは月姫やらっきょ時代からの古参がzero辺りから参入してきた新参によく苦言を呈していたように思う。
実際zero勢はこれまでの層とは違ったし(若い・女が多い等)、流行りジャンルということで人も多く冬木ちゃんねるなどの騒動もあったため、敬遠気味の人も少なくなかったようだ。
私自身もほぼ同時期に参入したため、各作品の感想などをSNSで垂れ流す際には常に新参ということを念頭に置いて慎重に行動していた。そういう人はたくさんいたと思う。
型月界隈は設定関係に特に厳しい傾向があったので、古本屋や中古ショップを巡りあらゆるマテリアルを買い集めて各キャラクターの設定を頭に叩き込んだ。
こうして思い返してみると、zero放送当時と今のFGOで大量に人が流れてきた状況はかなり似ているのかもしれない。
月日は流れ、その後もまほよ・CCC・未来福音などの新作を出し続ける型月の勢いは衰えることはなかった。
そして2014年7月27日、Fate Project 最新情報発表会が開催された。
あの日のことは今でもよく覚えている。
ufotableの美しい映像、赤い背景にゆっくりと裏返る「Unlimited Blade Works」の銀の文字、そして下屋則子さんの涙と一緒に発表された劇場版Heaven's Feel。
Fate/Grand Orderの製作が発表されたのはその後だった。
SN至上主義だった私にとって、FGOへの期待度はそんなに高いものではなかった。
とうとうソシャゲにも手を出すのか、ふーん。そのくらいの気持ちだった気がする。
過去にリリースされていたFate/NEというソーシャルゲームが肩透かしだったことも大きかった。(あれはあれで良い部分もあったので全否定はしないが)
周囲もそんな感じで、ソシャゲが今ほど台頭していない当時に発表されたFGOへ湧き上がっている人はあまりいなかったように思う。
そんな中でいよいよFGOがリリースされた。
当初は動作も重いし戦闘は時間がかかるし(倍速がなかった)、何より育成が途方もなくしんどかった。セイバーリリィを最終再臨したというツイートが何千RTもされていたのを覚えている。
とはいえ、私は携帯でやるゲームというものが前述したFate/NEやGREEの釣りゲーくらいしか知らなかったということもあり、まあこんなものだろうと思ってそれほど苦痛には感じなかった。
知っているサーヴァントが別クラスで実装されたり原作とは違う形で召喚されたりというのは楽しかった。何よりストーリーが面白かった。
Fateの延長線上の物語が随時配信される、というのが嬉しくてどんどんのめりこんでいった。
1部が終わるまでは、そんな風にずっと楽しめていたように思う。
動作や仕様が改良されていくのは成長を見ているようで嬉しかったし、爆死を乗り越えて欲しいサーヴァントが引けたときは転がりながら喜んだ。
炎上汚染都市冬木は要所でニヤニヤしたし、2章ではネロがさらに好きになった。5章でクーフーリン・オルタに驚き、6章では円卓に泣き、7章では危うくウルクの民になるところだった。
もちろん、不満もなかったわけではない。
イベント等でキャラ崩壊しただのネタ要員となるサーヴァントや、そのキャラの根底を否定するような鯖化などにはモヤモヤしたし友人と愚痴りあったこともある。
それでも、まあ同じライターが書いているわけでもなし、合わない話もあるだろうということで流せていた。
空気が変わったと感じたのは、年末の魔人柱討伐の後からだった。
twitterのトレンドを一気に埋め尽くしたこともありFGOの知名度は加速、新規参入がどっと増えてSN未プレイ者が大半を占めるようになった。
それ自体は別にいい。FGOから原作に入る人も多かったし、オタク知人と話すときにFateが好きと言ってフェイト?何それ?と聞かれることも少なくなった。
だが、民度(この言葉もあまり好きではないが)は確実に悪くなった。
FGO運営垢へのクソリプもこの頃から各段に増えた。大量の石乞食や、塩川氏への罵詈雑言や悪質なコラ画像を送り付け、それが同じような人々に何十RTもされていた。
新しいイベントやストーリーが公開されるたびに不満や文句を声高に叫ぶツイートが回り、それに対する学級会も頻繁に起こっていた。
原作を無視した二次創作も増え、それらの批判やその批判に対する批判などの泥沼も多く見かけた。
そうした空気の悪さも、少しずつ疲弊していった原因の一つだ。
1.5部は、奈須きのこ以外のライターがそれぞれ一章ずつ担当していた。2部もほとんどはその形式でいくようだ。
章ごとに新しいサーヴァントも増え、FGO新規のキャラクターもどんどん増えていった。
そしてつい先日、第2部「永久凍土帝国 アナスタシア」が配信された。
ストーリーは面白かった。どのキャラも魅力的で、展開も1部とは違った雰囲気を見せ、2部の幕開けに相応しい物語だったように思う。
だが、アナスタシアを終えて最初に出てきた感想は
『これはFateである必要があるのか?』だった。
知らないサーヴァント、知らないマスター、言峰綺礼の顔をした全く知らない謎の男。既存のサーヴァントはアヴィケブロンのみで、アポクリファを踏襲しているのか別側面を見せたいのかよくわからない態度。たまに思い出したように入れられるSNパロディのような台詞。
本当にこれはFateなのだろうか。
今までFGOはFateの延長線上だと思っていたが、そこで突然ぶつりと途切れた気持ちになった。
同時に、これまでふんわりと抱いていたモヤモヤが一気に湧いてきた。
ラ●プー●ンは言峰綺礼ではない。
イシュタルもエレシュキガルも遠坂凛ではないしパールヴァティは間桐桜ではない、村正は衛宮士郎ではない。
そんなことは百も承知の上で、ガチャを回したはずだった。
でも、私が好きな彼らの姿をしたこのキャラ達は一体何なんだろうか。
そう考え出すと、あれほどまでにお金と時間と愛情をかけて育てたサーヴァント達が、急に見知らぬ他人のように思えてきた。
本編で幸せになったはずの藤のんが、なぜ戦わなくてはいけないのか。
本編で完結しているはずの既存キャラ達が、なぜFGOに連れてこられて戦わなくてはいけないのか。
奈須きのこが書いてすらいないこの物語は、一体何なのか。
別にアナスタシアが特段におかしかったというわけではない。新キャラは前から増加傾向だったし、疑似サーヴァントなどはそれこそ初期からいた。
たぶん、これは私個人が溜め込んだ不満や鬱憤がこのタイミングで決壊しただけの話なのだろう。
上記の不満は完全に私の言いがかりだ。
公式でFate/Grand Orderと銘打っている以上、FGOがFateであることは疑いようもない。
既存のサーヴァントには限りがあるし、物語を進めていく以上新キャラの登場は必要不可欠だ。新しい登場人物も愛着が持てるように丁寧に描かれている。
疑似サーヴァントだって、本来なら姿すら出てこないはずのマスター達を、ファンサービスとして登場させるための理由付けにすぎない。隅を突付く方が無粋なのだろう。
奈須きのこが全てを書いていないとはいえ、全体の校正やチェックはしていると明言されている。
そもそも、そんなに不満ならFGOをやらなければいいのだ。
ソシャゲは義務ではないし、実際私も型月古参でFGOアンチをしている輩に対してそう思っていた。
だが、今型月が実質進めている作品はFGOを除くと、HF劇場版とEXTELLAくらいだ。供給頻度を考えると、現在の型月の8割以上をFGOが占めている。
つまり私はこれだけ長文で愚痴を垂れ流しておきながら、型月というジャンルから引き離されたくないがためにFGOを続けているのだろうか。
TYPE-MOONが好きだ。
Fateも好きだ。
FGOだってもちろん好きなはずなのに、心に溜まるモヤモヤはどんどん大きくなっていく。
このモヤモヤが近いうちに好きを凌駕して、アンチFGOになってしまいそうなことが怖い。
ここまでダラダラと書いておいて、結局何が言いたいのか自分でもわからない。
「新参が気に食わない」「二部は蛇足」などと一言でまとめてみても何か違うような気がする。
この気持ちを大雑把に統合すると「私はFGOに疲れた」ということになるのだと思う。
ただ一つ言えるのは、自分は型月では新参だ新参だと思っていたが、私はとうに古参の老害になっていたということだ。
歳を取り、時代とジャンルの流れに付いていけず、取り残された哀れなオタクが生まれただけのことだった。
おそらく私はFGOのサービス終了までアンインストールをすることはないだろうし、これからも毎日ログインを欠かさないだろう。もしかしたら好みのキャラに課金もするかもしれない。
ただ、型月作品を片っ端から発掘していたあの頃のような情熱を、もうFGOに注ぐことは出来ないと思う。それが少し悲しい。